第十二章 ラムセス2世の死

新王国時代以降のファラオは、治世が30年をうかえると「セド祭」とよばれるお祝いを行う習慣があった。ラムセス2世も55歳ごろに、治世30年のセド祭を行っている。セド祭は以後約3年ごとに催され、ラムセス2世のセド祭は14回行われた。「ラムセス2世は晩年、息子たちに政治をまかせ、気ままな生活を送っていたようです」(吉村博士談)。ラムセス2世が長寿だったために、長男のアメンヘルケプシェフ王子などが亡くなり、共同統治者には13番目の王子メルエンプタハが選ばれていた。ラムセス2世の治世67年n、ついに古代エジプトの輝かしき時代にも終わりの日がやてきた。およそ92歳の高齢に達したラムセス2世が亡くなったのである。ラムセス2世の死因を記録した資料は発見されていない。現在、ラムセス2世のミイラはエジプトのカイロ博物館が所蔵、展示している。元館長のマムドゥハ・エル=ダマティ博士は死因について次のように語る。「はっきりとはわかっていませんが、ラムセス2世は溺死した可能性があるという意見も出されています」。ラムセス2世の遺体は70日間かけてミイラにされた。そして、ルクソール西岸の「王家の谷」につくられた墓に埋葬された。王家の谷は新王国時代のファラオの墓多くつくられた場所である。膨大な財宝が発見(1922年)されたことで有名なツタンカーメン王の墓もここにあった。ラムセス2世の墓は、内部にあったはずの財宝が墓荒らしによってもちさられており、入り口から70メートル奥にあった石棺などは破壊されていた。そして、ミイラはここにはなかったのである。ラムセス2世のミイラはまったく別の場所にかくされていたのだ。