第五章 カデシュの戦い

カデシュの戦いの壁画戦い前のようす。上の絵には戦車が、下の絵にはヒッタイト軍のスパイをエジプト兵が攻めるようすがえがかれている。拡大部分は「勝利」を意味するヒエログリフである。この絵画はアブ・シンベル大神殿の大列柱室のもので、入り口からみて右の壁にえがかれている。

シリアの支配をめぐり、エジプトとヒッタイトは対立を深めていた。治世4年目から10年目にかけて、ラムセス2世は5度のシリア遠征を行っている。歴史に残るカディシュの戦いが起きたのは、2度目の遠征を行った治世5年目、30歳ごろのことであった。カディシュの戦いの記録は、戦闘の場面のレリーフ(浮き彫り)やヒエログリフ(神聖文字)によって、エジプト各地の数多くの神殿の壁画に残されている。そうした記録から再現された戦いは、次のようなものであった。ラムセス2世が集めたエジプト軍は、総勢約2万人というエジプト史上でも最大規模のものであった。軍隊は、エジプトの神の名をつけた「アメン」「ラー」「プタハ」「セト」の4師団に分けられ、この順番で北上していった。ラムセス2世は先頭のアメン師団を率いて敵地深くまで進軍し、カディシュのすぐ西に野営した。しかしこのとき、エジプト軍はヒッタイト軍の2人のスパイがもたらした誤った情報で行動していた。カディシュ付近にはいないと思っていたヒッタイト軍が、2番目をいくラー師団に襲いかかったのである。ラー師団は総くずれとなり、アメン師団は背後を断たれて完全に包囲されてしまった。しかも、ヒッタイト軍の規模はエジプト軍を上まわっていた。孤立したラムセス2世はチャリオット(2輪の戦車)に乗り込むと、護衛官で盾持ちのメンナとともに自ら敵軍中は突入して戦った。そして別ルートを通っていたエジプトの選抜部隊がヒッタイト軍の側面を襲ったことで局面がかわり、エジプト軍は勝利をおさめたのである。「このように、ラムセス2世が残したエジプト側の記録では、エジプト軍が大勝利したことになっています。ところがヒッタイト側の記録では、ヒッタイトが全面的に勝利したことになっています。実際の勝負は引き分けえおいうことでしょう。」(吉村博士談)。このことからラムセス2世は再び国内に大建築物を造営するようになった。アブ・シンベル神殿の建設がはじめられたのは、カディシュの戦いが行われた治世5年目のことであった。