第四章 首都ペル・ラムセス

ペル・ラムセスの想像図。王宮や神殿、住居などが建造されていた。古代エジプトにおいて最大規模の都市だったと考えられている。現在、ペル・ラムセスの中心地はカンティールにあったと推測されている。カンティールでは、装飾タイルや王座のための基壇が出土している。近くの町タニスにはペル・ラムセスの石材を運びだして建造した遺物が多数発見されている。そのため、以前はタニスがペル・ラムセスの地と考えられていた。

単独統治がはじまった紀元前1279年ごろ、ラムセス2世は自分の葬祭殿ラムセウムの建造を開始した。古代エジプトのファラオたちは、即位するのと同時に自身の葬儀場としての葬祭殿をたてはじめるのが通例でした。なぜなら、父王の後継者である詩文にどれだけ力があるのかを、内外にしらしめる必要があったためです。同じ年、ラムセス2世はナイル川のデルタ地帯の都市アブァリスをペル・ラムセスと名づけました。彼が26歳ころのことです。ペル・ラムセスとは「ラムセスの家」という意味です。そこには父セティ1世が建造した豪華な宮殿が存在していた。ラムセス2世はテーベからペル・ラムセスに首都を移し、多数の建物を建造しました。ペル・ラムセスの中心地は現在のカンティールにあったと考えられます。カンティールはデルタ地帯にある町で、ナイル川の河口近くに位置しています。「それまで政治や経済、宗教の中心地はテーベに置かれていました。ラムセス2世は伝統のあるテーベには宗教だけを残し、政治と経済の中心地をペル・ラムセスに移したのです。ナイル川上流にあるテーベでは、エジプト周辺地域の情勢変化にすばやく対応するのがむずかしかったためです」(吉村教授談)。ペル・ラムセスハしだいに拡張されていき、やがて古代エジプトの中でも最大規模をほこる都市にまで成長したと考えられています。街は幸運をよぶとされているトルコブルーに装飾されていたともいわれています。壮麗な巨大都市ペル・ラムセスは、『旧約聖書』のはじめにある「創世記」第47章11節にも「ラムセスの地」として登場します。しかし、ペル・ラムセスがどこにあったかは長い間不明とされていました。繁栄をきわめた後、エジプトが衰退するのにともなってペル・ラムセスの建物は解体されました。建物の石材が運びだされてほかの建造物に利用されたのです。やがてペル・ラムセスは消滅し、どこにあったかもわからなくなってしまったのです。